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日本医療労働組合連合会 〒110-0013 東京都台東区入谷1-9-5 日本医療労働会館3F TEL03-3875-5871 FAX03-3875-6270 地図はこちら |
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東日本大震災関連情報2 |
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2階まで津波が押し寄せ患者全員屋上に避難させ犠牲者出さなかった県立大槌病院 |
【救援カンパ 振込先@】
金融機関:中央労働金庫 荒川支店
口座名義:日本医労連(ニホンイロウレン)
口座種類:普通預金
口座番号:5881014
【救援カンパ 振込先A】
金融機関:郵便振替
口座名義:日本医療労働組合連合会
口座番号:00160-6-84866
東日本大震災関連情報 医療機関・医療従事者の方へ<厚労省ホームページ>
4月14日現在 救援募金 123口18,218,796円
4月14日 被災地の代表が参加し、厚生労働省交渉
〜被災者の医療費軽減・医療斑派遣の改善など要請(1)〜
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厚労省要請する日本医労連代表団 |
日本医労連は、4月14日午後、東日本大震災への緊急対策を求めて厚生労働省交渉を行いました。交渉には、日本医労連から田中委員長、桂木副委員長をはじめ、岩手、宮城、福島、茨城の被災地の県医労連及び被災地の医療機関の代表として全医労、全厚労、全日赤、健保労組、国共病組の代表など17名が参加。厚生労働省からは社会・援護局、医政局、保険局、健康局、老健局、医薬食品局、労働基準局、職業安定局から22名の担当官が対応。2時間にわたり、16の要請項目で交渉を行いました。
最初に、被災に伴う診療と被災者の医療費の一部負担金、介護サービスに係る利用料に関して、厚生労働省から「保険証なしで診療できる措置をとっており、一部負担金等の支払については5月まで猶予措置を行っている。減免するかどうかは、保険者の判断にゆだねられる」「これらの措置は、関係機関やマスコミ等を通じて周知に努めた」と回答がありました。交渉参加者からは、「被災状況をふまえ、支払猶予措置の延長とあわせ、減免措置も行うべき。保険者への支援をふくめ検討してほしい」と要請。これに対し担当官から「被災者の状況を考えて、免除の取り扱いを適宜判断するようにしており、その部分について財政的な支援を検討したい」との回答がありました。
医療機関での受診・窓口負担に関するお知らせや生活支援ニュースについて、参加者から「広範な場所に掲示し、ラジオ、テレビなども使って周知徹底すべき」と強い要望が出されました。さらに医療班の派遣について、「大きな避難所には医療班が派遣されているが、公民館など地域のコミュニティーセンターまではカバーされてない」「原発事故の影響で、福島は医療班の派遣が少ない」など実態を明らかにし、改善を求めました。
また、被災者への医薬品の販売・授与について、厚生労働省から「法律上も、処方箋なしでも必要な医薬品の販売ができるようなっていたが、周知されてなかったことは反省している。次の災害の際はどうするか、対策を強めたい」と回答しました。((2)へつづく)
4月12日 避難所で頑張る仲間
震災直後の大津波は岩手県立高田病院も襲い、濁流は4階まで流れ込みました。医師や看護師などスタッフは患者を屋上に上げ、ドアや棚などを燃やして暖を取り、夜を過ごしました。病院の建物は機能を失いましたが13日からは避難所になっている陸前高田米崎コミュニティーセンターを拠点に診療活動を開始し、避難している150人の声を聞きながら懸命に医療活動をおこなっています。(写真)
4月8日 被災地の仲間、全国の激励受けいっそう奮闘中
宮城県医労連・健保労組仙台支部
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仙台社会保険病院の健診車 |
・・公的病院としての存続の運動がすすめられている社会保険病院、被災地宮城県の仙台社会保険病院も地域の医療機能を守って奮闘しています。仙台社会保険病院は、震災から3日間は24時間態勢で人工透析患者を受け入れ、それ以降も県内37施設の患者を受け入れて、医療機能が失われた南三陸町へ『移動診療所』として健診車(右写真)を送りだすなど、被災者への医療を維持するために頑張っています。健保労組仙台社会保険病院川名豊支部長も健診車に乗り込み、南三陸町へ医療支援に行き、津波の被害が深刻な町の状態に心を痛めながらも奮闘しています。
4月5日 被災地福島、原発風評もはねのけ、募金活動 新人職員も元気に参加
福島県医労連・・4月2日午後、福島駅前通りで街頭募金。生協組合員・職員合わせて50人が参加。新入職員4人は初体験でした。「早く何かの役に立ちたいと思っていたが、今日募金できて良かった」「津波で家が流され、お母さんが亡くなった」という家族も募金に協力してくれました。約40分間で102,527円の募金が寄せられました。
原発事故で避難している双葉厚生病院の仲間や鹿島厚生病院の仲間がいる福島厚生連労組。会津若松市にある高田、坂下分会は4月2日、災害支援センター主催で会津若松市コープ飯寺店前にて行った東北大震災募金活動に役員、組合員が参加しました。あいにくの冷たい風が吹きすさぶ中、声を張り上げて買い物客に呼びかけました。子供連れや若い組合員が「被災者のことを思うと寒さなんかなんのその」と頑張りました。それに対し次々と募金をして下さる暖かい市民の方たちにまた勇気づけられ、復興は必ずできると確信が持てた活動でした。
4月4日 救援募金 87口13,063,631円 / アメリカ全国看護連合からも 5,000$届く
4月2日 東京・日本医療労働会館で日本医労連2011年春闘組織代表者会議を開催し、東日本大震災被災地の宮城、福島を含め(岩手は交通事情等で参加できず、メッセージが寄せられました)、7全国組合と44都道府県医労連及び本部役職員あわせて77名が参加しました。
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2011年春闘組織代表者会議報告する田中委員長 |
組織代表者会議は、山田稔書記次長、木口栄書記次長を司会にはじまり、まず田中千恵子委員長が岩手、宮城、福島をはじめ被災地で奮闘している仲間、全国で被災者支援活動を展開している仲間に敬意を表するとともに、日本医労連に寄せられた救援募金が1千万円を突破したことを報告し、挨拶しました。続いて、相澤幸敏書記長が2011年春闘の到達点と今後の方針・行動の補強について提案し、震災で回答が延期されたところを含め、4月段階での奮闘を訴えるとともに、新入職員をはじめとする組合加入・組織拡大の活動強化していくこと、大震災への救援募金をいっそうひろげていくことを訴えました。
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宮城・松田すい子副委員長 |
午後から討論に入り、まず大震災で大きな被害の出ている宮城県医労連の松田すい子副委員長と福島県医労連の高橋勝行書記長が全国の仲間の支援に感謝の意を表明するとともに、医療機関を含めた震災被害の現状と組合員の奮闘について報告し、さらなる支援を訴えました。
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福島・高橋書記長 |
組織代表者会議は、書記長提案を受けて討論し、4月段階の闘いについて意思統一するとともに、救援募金をいっそう広げていくことを確認し、最後に田中委員長の団結ガンバローで終了しました。
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福島農民連からの野菜どっさちの支援物資を届けました |
<田中委員長報告第3報>3月29日 福島県厚生連の双葉厚生病院、鹿島厚生病院の職員36名が避難しているJA教育センターを、斉藤委員長(県労連議長)、高橋書記長と一緒に福厚労の組合員を訪問。斉藤委員長の軽トラックで農民連からの支援物資を届けました。福厚労双葉分会の組合員との懇談では、「津波がぎりぎりまで来て、患者を上の階に搬送したら、次の日12日、原発事故が発生し、ヘリで移動、移動先もバラバラになって混乱状態だった。震災発生時からすぐ救援・医療活動にあたっていて現在は、教育センターから関連の老健施設に勤務している。家族や友人を流された人、家が流された人もいるが、自分は家も車もあるが原発から半径20km以内の避難区域なので入れない。通帳なども置いてきたので、着のみ着のままだった。家族は別の避難所にいる」とのことでした。また、教育センターでは、厨房を借りて調理をしていました。今後の勤務地や、生活などの不安がありますが、なんといっても原発事故の広がりと影響が不安とのことでした。
3月28日 田中委員長、津波被災地の釜石市と大槌町へ
<田中委員長報告第1報>・・3月28日、大雪の秋田から奥山副委員長の車で岩手医労連事務所へ、いわて労連鈴木議長、金野事務局長と懇談、岩手医労連中野るみ子委員長と鈴木哲夫書記長に義援金をお渡しし、4人で支援物資を積んだ車で釜石へ。
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全医労釜石支部の組合員と懇談 |
12時30分、全医労釜石支部の菅原副支部長など組合員20名と懇談、「地震直後はどうしてよいかわからなかった。帰れない日が続き、日勤・準夜・深夜を繰り返しているようだった。水分補給も1日1回、食事もわずかなものしかなく、入院している子供たちがかわいそうだった。入浴もさせてあげられない。震災の時は弱い立場の人にしわ寄せがくる」と語りました。自宅が流された職員も多く、20人余が泊まり込んで医療活動にあたっています。そんな中でも、新人歓迎会の準備がされていました。
釜石厚生病院では菊池書記長が対応し、支援物資を渡すことができました。ある執行委員は「自分もそうだが、自宅が流されて帰れない職員が20名余泊まり込んでいる。下着など着替えるものがない。しかし、自分たちより大変な人がたくさんいますから・・」と。
県立釜石病院では、右田支部長、田口書記長と組合事務所で懇談し、秋田県医労連からのパンを差し入れました。(市内はパンが売り切れてないため)本館がヒビ割れなど被災し、患者は新しい増築棟へ移動しましたが、その後他院へ搬送しました。しかし、その後も使っている病棟に被災者など入院が増えています。80人が自宅に住めない状況になったが、現在30人が病院で寝泊まりして医療活動を行っています。 その後、釜石市内、大槌町を回りました。釜石市内は復旧作業頭進んでいましたがまだまだ瓦礫の山です。信号も回復しておらず、他県からの応援の警察官が信号整理をしていました。
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